川村孫兵衛【北上川改修】

川村孫兵衛重吉は、長州出身の土木の名人です。伊達政宗に見出され、北上川改修などの土木工事で仙台藩を豊かにしました。

生い立ちと浪人時代
天正三年(一五七五)年、長門国阿武郡(現在の山口県萩市)に生まれます。幼名は万五郎で、祖父の川村常吉から土木や治水、鉱山などの技術を学びます。毛利氏に仕えていましたが、関ヶ原の戦いで毛利家が減封されると浪人となり、近江国蒲生郡(現在の滋賀県)に身を寄せます。この頃、伊達政宗の目に留まり、慶長六年(一六〇一)年、仙台藩に招かれます。

伊達政宗との出会い
政宗は孫兵衛の土木技術を高く買い、家臣とします。知行五百石を勧められますが、「荒れ地をください」と断り、新田開発の機会を求めます。早速、仙台城下の用水路整備や金山銀山の探査に着手します。政宗の信頼を得て、次々と難工事に挑みます。司馬遼太郎は孫兵衛を「仙台藩の歴史で第一等の人物」と評します。

北上川の大改修
最大の功績は北上川の治水工事です。当時、北上川は洪水が頻発し、流域は湿地で米作に不向きでした。孫兵衛は迫川と江合川を合流させ、北上川の流路を付け替え、真野川へ導く大改造を計画します。寛永三年(一六二六)年、約二十五年かけて完成させます。これにより洪水が防がれ、新田が広がり、仙台藩の石高を実質百万石以上に押し上げます。

貞山堀と石巻港の開発
同時に、仙台城普請のための資材運搬路として貞山堀を掘削します。政宗の法名「貞山公」にちなむこの運河は、舟運を活発化させます。また、北上川河口の石巻で港湾整備を行い、米の集散地とします。石巻の川開き祭りは今も孫兵衛の恩に感謝する行事として続きます。鉱山開発や塩田改良も手がけ、藩の財政を支えます。

晩年と死去
工事中も資金調達や労働者の待遇改善に奔走し、親身になります。慶安元年閏一月二七日(一六四八)年、七四歳で没します。銅像は石巻の日和山公園に立ち、北上川を眺めています。孫兵衛の事業は、東北の開拓を象徴し、後世に多大な影響を与えます。

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