阿波根昌鴻【平和運動家】

阿波根昌鴻は、沖縄の伊江島で米軍の土地強制接収に非暴力で抵抗した平和運動家です。沖縄戦後の苦難の中で、徹底した非暴力の精神を貫き、「沖縄のガンジー」と称され、島民を率いて土地を守る闘いを主導しました。101歳まで生きた彼の生涯は、戦争の愚かさと平和の尊さを後世に伝えるものです。

生い立ちと青年期

1901年3月3日、沖縄県国頭郡本部町に生まれました。17歳でキリスト教に傾倒し、無教会主義の影響を受けます。22歳で伊江島に移り、知念喜代さんと結婚し、農業を営みました。1925年にはキューバへ移民し、1929年にペルーへ移住しますが、1934年に日本へ帰国しました。京都の一燈園や沼津の興農学園で学び、伊江島でデンマーク式農民学校の建設に取り組みますが、沖縄戦で学校は失われ、息子の昌健さんも戦死します。

戦後・土地闘争の先駆者

敗戦後、伊江島の土地の約6割が米軍に強制接収されました。阿波根さんは「全沖縄土地を守る協議会」の事務局長や「伊江島土地を守る会」の会長として、非暴力抵抗を掲げます。1955年から1956年にかけ、沖縄本島で「乞食行進」を行い、米軍の不当性を訴えました。この運動は1956年夏の島ぐるみ土地闘争に大きな影響を与えます。また、島で唯一のカメラを手に、米軍の横暴や住民のテント生活を約3200枚撮影し、記録を残しました。

・銃剣とブルドーザーによる強制接収に反対。
・非暴力の徹底で逮捕や演説を繰り返す。
・写真で被害を記録し、写真集『人間の住んでいる島』を自費出版。

晩年と遺産

1972年の沖縄返還後も、政府との土地賃貸借を拒否し、軍用地訴訟を提起します。1984年に「わびあいの里・阿波根昌鴻記念館」を開館し、平和を説きました。生協活動にも取り組み、1969年に生活協同組合を設立します。2002年3月21日、肺炎のため101歳で亡くなりました。死後、2003年に東京弁護士会人権賞を受賞し、ドキュメンタリー映画も製作されています。

思想と影響

西田天香の思想に触れ、「命こそ宝」との信念で反戦・反基地を貫きました。著書に『命こそ宝―沖縄反戦の心』『米軍と農民 沖縄県伊江島』などがあります。彼の非暴力精神は、沖縄の平和運動の象徴として今も語り継がれ、写真展が各地で開催されています。

もっと知りたい方へ

阿波根昌鴻 – Wikipedia
阿波根昌鴻 写真と抵抗、そして島の人々 | 原爆の図 丸木美術館
否戦の心と人間愛の眼 阿波根昌鴻写真展 – 福岡アジア美術館
阿波根昌鴻 写真と抵抗 | 琉球戦跡平和祈念資料館