中島藤右衛門【蒟蒻の父】

中島藤右衛門は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した農民であり、こんにゃくの粉製法を発明した人物です。腐りやすく重い生芋の問題を解決した功績から、こんにゃく業界の始祖として今も各地で尊敬され、こんにゃく神社に祀られています。

生まれと時代背景

中島藤右衛門は、延享2年12月7日、1745年12月29日に常陸国久慈郡諸沢村、現在の茨城県常陸大宮市諸沢に生まれました。彼が生まれ育った茨城県奥久慈地方は山間地で、早くからこんにゃく芋を栽培していた地域でした。しかし当時のこんにゃくは、収穫した生芋が重量もあり、腐敗や凍結がしやすいという深刻な問題を抱えていました。そのため、こんにゃくは秋の収穫期限定の食べ物であり、産地以外ではなかなか手に入らない貴重な食材だったのです。

画期的な発明の誕生

藤右衛門の人生に転機が訪れたのは、安永5年、1776年頃のことでした。畑で偶然、鍬で切られたこんにゃく芋が白く乾燥しているのを目にした彼は、これにヒントを得て実験を重ねました。やがて生芋を輪切りにして串に刺し、天日で自然乾燥させた後、それをきねでついて粉にするという製法を編み出すことに成功したのです。この粉末を水に溶いて食用こんにゃくを作ることで、長期保存と軽量化が実現し、販路は一気に拡大しました。これまでこんにゃくが抱えていた多くの問題が一度に解決され、1年中どこでもこんにゃくを食べられるようになり、庶民の口にも入るようになりました。

功績への評価と名誉

藤右衛門の発明は、水戸藩の特産物としてこんにゃくを確立させる大きな功績となりました。その業績をたたえ、文化3年、1806年に水戸藩は彼に一代限りの名字帯刀と麻裃着用を許しました。これは農民にとって大変な名誉であり、彼の発明がいかに地域経済に貢献したかを物語っています。藤右衛門は文政8年、1825年に80歳で生涯を閉じましたが、その功績は今日まで語り継がれています。

現代に続く感謝の心

藤右衛門への感謝の念は、単なる歴史上の評価にとどまりませんでした。茨城県大子町には、彼を祀るこんにゃく神社が建立され、こんにゃく業界の始祖として今も多くの人々が参拝に訪れます。さらに福島県八溝山麓や東白川地方では、現在でも収穫後に耕作者仲間が集まり、藤右衛門の掛け軸にこんにゃく芋をささげて宴会をする藤右衛門講が開かれています。この風習は昭和43年、1968年には矢祭町でも始められ、農民たちが藤右衛門の肖像やこんにゃくを描いた掛け軸を下げてその業績をしのぶ習慣として受け継がれています。こんにゃくの製造技術は、今も江戸時代とさほど変わらず、藤右衛門が発見し築き上げた技術が現代まで生き続けています。

もっと知りたい人のためのリンク集

大子町公式ホームページ – こんにゃく
蒟蒻神社 – 大子町観光協会
中島藤右衛門 – コトバンク
こんにゃくの作り方 – 日本こんにゃく協会