「沖縄産業の父」とも称される儀間真常は、琉球王国時代にサツマイモの普及・製糖・木綿栽培という三大事業を成し遂げ、飢餓から多くの命を救った殖産家です。
生い立ちと家柄
儀間真常は1557年(嘉靖36年)、現在の那覇市にあたる真和志玉城間切垣花村の儀間村に生まれました。 父は首里王府の役人・儀間親雲上真命であり、大城按司真武を祖先に持つ由緒ある麻氏一族の出身です。 三男として育った真常は、若くして王府に仕え、1593年に父の跡を継いで真和志間切儀間地頭に任じられました。
サツマイモの普及
真常の最も有名な功績のひとつが、サツマイモの普及です。1605年、野国総管が中国から持ち帰ったサツマイモの種芋を譲り受け、その栽培方法を琉球各地に広めました。 当時の琉球は食糧事情が厳しく、たびたび飢饉に苦しんでいました。栄養価が高く、やせた土地でも育つサツマイモの普及は、多くの民の命を救う画期的な出来事でした。 このサツマイモはのちに薩摩を経由して日本本土にも広まり、江戸時代の食糧難を救う作物となっていきます。
製糖技術の導入
真常はサツマイモの普及にとどまらず、中国から砂糖(黒砂糖)の製造技術を導入し、琉球全土に広めました。 製糖業はのちに琉球・沖縄の重要な産業の柱となり、経済的な自立を支える基盤となりました。真常はこの技術を一部の特権階級に独占させることなく、広く民間に普及させることを重視したといわれています。
木綿栽培と琉球絣の礎
さらに真常は、薩摩藩から木綿の種を持ち帰り、琉球での木綿栽培と木綿布の織りを奨励しました。 これが現在も沖縄の誇る伝統工芸「琉球絣」の基礎を築くことになりました。 農業・製造業・繊維産業という複数の分野にわたる改革は、真常が単なる政治家にとどまらず、構想力を持つ産業人であったことを示しています。
晩年と評価
1624年には王府から「親方」の高位を授けられ、その功績が正式に認められました。 1644年、88歳という当時としては異例の長寿を全うして生涯を閉じました。 現在、真常は「琉球五偉人」のひとりに数えられ、「沖縄産業の父」「沖縄の三大恩人」として語り継がれています。 那覇市内には儀間真常の墓が残されており、今も多くの人が訪れています。
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ウチナーンチュ47号
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