蔡温は、琉球王国で活躍した偉大な政治家です。1682年に那覇の久米村で生まれ、1762年に80歳で亡くなりました。中国から渡来した久米三十六姓の子孫として、実学を重んじ、王国の制度改革や土木事業に大きく貢献しました。
生い立ちと学問の道
蔡温は幼少期に秀才となり、19歳で通事として清国に渡りました。そこで陽明学を学び、帰国後は尚敬王の国師に任命され、王の教育を担いました。30歳頃から首里で屋敷を与えられ、政治の道へ進みました。多くの書物に親しみ、自伝などで少年時代の反抗的な性格を振り返っています。
三司官としての活躍
1728年、47歳で三司官に就任し、25年間王国を支えました。羽地朝秀の後を継ぎ、近世的な民衆支配の制度を確立。元文検地を実施し、土地制度を整備しました。また、『御教条』を公布して道徳規範を定め、王府の財政危機を冊封使の対応で救いました。
治山治水の実践
・1735年、羽地大川の河川改修を指揮し、洪水を防ぎました。
・1736年から北部山林を自ら視察し、『杣山法式』で管理法をまとめ、森林保全を推進。
・風水地理の知識を生かし、名護の遷都論争を収め、三府龍脈碑を建立。
著作と遺産
蔡温は『家内物語』『独物語』『自叙伝』『図治要伝』『簔翁片言』など多数の書を残し、『澹園全集』としてまとめられました。これらは政治・経済・実学の指針です。実践的な指導者として、琉球の近代化基盤を築きました。
人物像
現実主義者で、現地視察を好みました。山林保全や河川工事で自ら指揮し、隠居後も影響力を保ちました。大正4年に正五位を追贈され、那覇に「さいおんスクエア」や旧宅跡が残っています。
もっと知りたい人のためのリンク集
蔡温 – Wikipedia
蔡温旧宅跡 – 那覇市観光資源データベース
蔡温 – 風月楼
蔡温随筆集 – 琉球大学デジタルアーカイブ

