依田勉三【十勝の開拓者】

依田勉三は、北海道十勝地方の開拓に生涯を捧げた開拓者です。民間開拓団「晩成社」を率いて帯広市を開拓し、「十勝開拓の父」と称されています。

その不屈の精神は、今も六花亭の銘菓「マルセイバターサンド」に受け継がれています。

生い立ちと志の形成
嘉永6年、伊豆国那賀郡大沢村の豪農の家に生まれました。幼少期に両親を亡くし、兄の佐二平に育てられます。22歳で慶應義塾に入学し、福沢諭吉のもとで学びました。福沢から「人口激増・食料不足を補うために北海道を大いに開拓すべき」との教えを受け、北海道開拓の志を固めます。

晩成社の設立と十勝への入植
明治15年、勉三は北海道での農場建設を目的とする「晩成社」を設立しました。資本金は5万円、現在の価値で約150億円という大金でした。社名は「大器晩成」にちなみ、「開拓には長い時間がかかるが、必ず成功してみせる」という決意が込められています。明治16年4月、13戸27人の移民団を率いて十勝国河西郡下帯広村に入植しました。

苦難の連続と不屈の精神
開拓は困難を極めました。
・野火やイナゴの大群による被害
・天候不順と野生動物による農作物の被害
・食糧不足による飢餓との戦い
・当初の移民が3戸にまで減少
ある食事の場で、仲間が「落ちぶれた極度か豚とひとつ鍋」と嘆いたとき、勉三は毅然として「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」と詠み返したと伝えられています。

事業の展開と晩年
明治25年頃から状況は好転し、小豆・大豆の収穫も軌道に乗り始めます。明治35年にはバター工場を創業し、「マルセイバタ」のブランドで商品化しました。しかし、事業経営は苦難続きで、大正5年には主要農場を売却。大正14年12月12日、73歳で帯広の自宅にて永眠しました。死の間際、「晩成社には何も残らん。しかし、十勝野には…」と語ったと伝えられています。

もっと知りたい人のために
Wikipedia 依田勉三
帯広観光コンベンション協会
松崎町公式サイト(依田勉三の出身地)

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