佐々木五三郎【育児院】

佐々木五三郎は、明治から昭和にかけて活躍した社会事業家であり、青森県弘前市に東北初の児童養護施設「東北育児院」を創設した人物です。

「子は神なり、之を愛するは人の道なり」という座右の銘のもと、孤児救済に生涯を捧げました。

波乱の幼少期
慶応4年(1868年)、弘前市紙漉町に生まれました。父・佐々木新蔵は製紙・製糸・製陶業を営む実業家でしたが、母は五三郎を産んで数日で死去、7歳の頃には父も亡くなりました。10歳で成田家の里子となり、水車小屋で働きながら東奥義塾で学びました。

実業家としての成功
26歳で実家に復籍し、傾いていた薬種商「赤格子」を継ぎました。懸命な努力で事業を再建し、33歳の頃には経営を安定させることに成功しました。

東北育児院の創設
明治35年、冷害による大凶作が東北地方を襲い、多くの孤児が食を求めて町をさまよっていました。岡山の石井十次の講演に感銘を受けていた五三郎は、自宅を開放して孤児を収容し、東北育児院を開設しました。
・石けん・マッチ・ろうそくなどを孤児に行商させて生活費を稼ぐ
・大正3年、弘前初の常設映画館「慈善館」を建設し、収益を運営費に充当
・昭和6年、育児院を「弘前愛成園」に改称

養老事業への拡大
昭和7年には、身寄りのない高齢者のために「弘前養老救護院」(後の弘前温清園)を設立しました。昭和20年4月27日、78歳で死去。弘前愛成園は現在も社会福祉法人として活動を続けています。

もっと知りたい人のために
弘前市公式サイト
コトバンク 佐々木五三郎

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