広沢安任【畜産業近代化】

広沢安任は、幕末の会津藩士であり、戊辰戦争後に青森県三沢市に日本初の洋式牧場「開牧社」を開いた人物です。「野にあって国家につくす」という信念のもと、北の大地で畜産業の近代化に尽力しました。

会津藩での活躍
文政13年(1830年)、会津藩士・広沢庄助の次男として生まれました。藩校・日新館と江戸の昌平黌で学び、文久2年に藩主・松平容保が京都守護職に任ぜられると公用方として上京。新選組との交流も持ちながら、京都の政局に関わりました。

戊辰戦争と投獄
鳥羽・伏見の戦いの後、会津藩の立場を新政府に嘆願するため江戸に残りましたが、投獄されてしまいます。しかし、親交のあった英国外交官アーネスト・サトウの口添えにより、明治2年に釈放されました。

青森県の成立に貢献
会津藩は斗南(現在の青森県の一部)に移封されましたが、困窮する旧藩士を救うため、安任は弘前・黒石・斗南・七戸・八戸の5県合併を政府に建言。これが実現し、現在の青森県が成立しました。

日本初の洋式牧場を開設
明治5年、安任は三沢市谷地頭に洋式牧場「開牧社」を開設しました。
・イギリス人技術者を雇い、欧米式大農法を導入
・内国勧業博覧会で馬・牛が龍紋賞を受賞
・福澤諭吉が『開牧五年紀事』に序文を寄せる

「野にあって国家につくす」
明治9年の明治天皇行幸の際、内務卿・大久保利通から中央政府への仕官を勧められましたが、安任は固辞しました。明治24年、インフルエンザにより62歳で死去。その遺骨は牧場内に葬られています。

もっと知りたい人のために
三沢市公式サイト(斗南藩記念観光村)
Wikipedia 広沢安任

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