伊達邦成は、仙台藩一門・亘理伊達家の第14代当主であり、戊辰戦争後に家臣団と共に北海道に移住し、現在の伊達市を開拓した人物です。
その開拓手法は北海道開拓の模範となり、男爵に叙せられました。
仙台藩一門としての出自
天保12年、仙台藩の伊達氏一族である岩出山伊達家の次男として生まれました。亘理伊達家第13代・伊達邦実の娘・豊と結婚して婿養子となり、23,853石の亘理領主となりました。亘理は現在の宮城県南部の沿岸部にあたる地域です。
戊辰戦争と苦難の始まり
戊辰戦争では、仙台藩主・伊達慶邦の命により新政府軍との和平交渉を担当しました。降伏後、亘理伊達家の所領はわずか58石にまで減らされます。数百名の家臣を抱えながら、従前のわずか0.24%の石高では生活が成り立たず、家老・田村顕允の進言により北海道移住を決意しました。
北海道移住と開拓事業
明治3年から数次にわたり、家族と家臣ら約250名を連れて胆振国有珠郡に移住しました。最終的には約2,800名が移住し、現在の伊達市の基礎を築きました。邦成の開拓政策には独自の特徴がありました。
・移住者の身分を1級格上げすることを約束
・必ず家族単位で移住させ、逃亡を防止
・土地を平等に分配
・先住のアイヌの人々には礼儀を尽くすよう指示
・馬を使った畑の耕作など、農業の効率化を推進
仙台の技術を北海道へ
邦成は単なる農地開拓にとどまらず、仙台の工芸品生産技術や藍染めを北海道に持ち込みました。現在、藍染めは北海道で伊達市が唯一の産地となっています。日の出から日没まで1日16時間働くなど、幾多の困難を乗り越えて開拓を進めました。
晩年と顕彰
明治25年、開拓の功績により勲四等瑞宝章を受勲し、男爵に叙せられました。明治37年11月29日、63歳で逝去。その功績は北海道開拓の見本として高く評価され、現在は伊達神社および北海道神宮境内の開拓神社に祀られています。
もっと知りたい人のために
伊達市公式サイト
Wikipedia 伊達邦成
だて歴史文化ミュージアム

