野呂理左衛門【屏風山】

野呂理左衛門は、江戸時代前期から中期にかけて活躍した植林家であり、津軽半島西岸の七里長浜に広大な防風林「屏風山」を造成した人物です。

砂防造林の先駆者として、津軽地方の農業発展に多大な貢献を果たしました。

津軽の豪農として
生年は不詳ですが、陸奥国館岡村(現在の青森県つがる市木造)の豪農の家に生まれました。野呂家は代々この地で名を知られた家柄で、理左衛門(利左衛門とも表記)もその一人として地域の発展に尽力しました。

七里長浜の砂防造林
天和元年(1681年)より、津軽藩主・津軽信政の命を受けて、津軽半島西岸の七里長浜と呼ばれる砂丘地帯の植林事業に着手しました。この地域は日本海からの強風で砂が舞い、農作物に甚大な被害を与えていました。
・1本ごとに砂地に穴を掘り、粘土を運んで根付きをよくする
・カヤや藁で風を遮り、苗木を保護
・血のにじむような努力で松林を造成

屏風山の完成
約70万本もの松が植えられ、幅4キロメートル、長さ10キロメートルに及ぶ鬱蒼とした森が完成しました。その形から「屏風山」と名づけられ、新田開発の礎となりました。理左衛門はまた、河川改修や新田開発にも尽力しています。

天明の大飢饉と復興
天明3年(1783年)の大飢饉では、救荒のために松の木が伐採され、わずか3万本にまで減少しました。しかし、飢饉が去った後、地域の人々は100年をかけて元の松林に復元しました。享保4年(1719年)死去。

もっと知りたい人のために
中泊町博物館
青森県公式サイト

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