廣井勇【小樽港北防波堤】

廣井勇は、明治から昭和にかけて活躍した土木工学者であり、「港湾工学の父」と称される人物です。小樽港北防波堤の建設をはじめ、日本の近代港湾建設技術の確立に多大な貢献を果たしました。

高知から札幌へ
文久2年(1862年)、土佐国佐川村(現在の高知県佐川町)に生まれました。9歳で父と死別し、名を勇と改めます。16歳で札幌農学校に入学し、内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾らとともに二期生として学びました。在学中の明治10年、函館に駐在していた宣教師メリマン・ハリスから洗礼を受け、キリスト教徒となりました。

海外での研鑽
明治14年に札幌農学校を卒業後、明治16年に私費でアメリカに渡りました。セントルイスの陸軍工兵隊でミシシッピ川の治水工事に携わり、その後橋梁設計事務所で技術を磨きました。さらにドイツのカールスルーエ大学、シュトゥットガルト大学に留学し、土木工学と水利工学を研究。「土木工師」の学位を取得しました。

小樽港北防波堤の建設
明治22年に帰国後、札幌農学校教授、北海道庁技師を務め、小樽築港事務所長に就任しました。ここで廣井は画期的な技術を導入します。
・火山灰を混入した高強度コンクリートの開発
・波圧に耐える独自の「斜塊ブロック工法」の考案
・100年先を見据えた6万個の強度試験用供試体の作成
明治41年に完成した北防波堤は、建設から100年以上経った現在も現役で稼働しています。

教育者としての功績
明治32年、東京帝国大学教授に就任。青山士、八田與一、宮本武之輔ら「廣井山脈」と呼ばれる多くの優れた土木技術者を育成しました。昭和3年10月1日、65歳で逝去。葬儀は内村鑑三の司式により行われ、「清きエンジニア」と称えられました。

もっと知りたい人のために
Wikipedia 広井勇
国土交通省北海道開発局小樽開発建設部

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