新渡戸伝【三本木原開拓】

新渡戸伝は、江戸時代後期から明治初期にかけて活躍した盛岡藩士であり、三本木原(現在の青森県十和田市)の開拓に生涯を捧げた人物です。新渡戸稲造の祖父にあたり、「太素」の号で知られています。

商人としての成功
寛政5年(1793年)、花巻城下に生まれました。父・新渡戸伝蔵は儒学者でしたが、藩議への反対により流罪となります。27歳の伝は父を養うため「安野屋素六」を名乗り商人となり、下北や十和田湖周辺の材木を江戸で売って大きな利益を得ました。この商人時代に各地の産業を視察し、開墾技術を研究しました。

開拓のエキスパートとして
天保9年(1838年)、45歳で盛岡藩士に復帰すると、領内各地で開拓事業を成功させました。岩手・志和・和賀・稗貫の4郡21村で開拓を行い、「開拓のエキスパート」として藩内で名を馳せました。

三本木原の大開拓
安政2年(1855年)、62歳の伝は念願の三本木原開拓に着手しました。三本木原は「三本の木しかない」といわれるほどの荒野でしたが、伝は奥入瀬川から水を引く大計画を立てました。
・鞍出山穴堰(約2.5km)・天狗山穴堰(約1.6km)のトンネル掘削
・4年の歳月をかけて安政6年に通水成功
・人工河川は藩主より「稲生川」と命名

次世代への継承
長男・十次郎は都市計画を含む壮大な構想を描き、孫の稲造(後の国際連盟事務次長)は開拓成功を記念して命名されました。明治4年、78歳で死去。毎年5月には十和田市で「太素祭」が開催され、その功績が称えられています。

もっと知りたい人のために
新渡戸記念館
農林水産省 土地改良偉人伝

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