大川亮は、明治から昭和にかけて活躍した工芸研究家であり、津軽地方の農閑期における工芸品生産の振興に尽力した人物です。こぎん刺しをはじめとする津軽の伝統工芸に早くから注目し、「津軽のアーツ&クラフツの先駆者」と称されています。
生い立ちと学びの日々
明治14年(1881年)、大光寺村(現在の青森県平川市)の豪農の家に生まれました。東京の駒場農業実科で学んだ後、東京美術学校(現在の東京藝術大学)に進みましたが、明治36年(1903年)に帰郷しました。
農閑工藝研究所の設立
大正4年(1915年)、大川は私費を投じて「農閑工藝研究所」を開設しました。郷土の工芸技術の保存と、その技術を活かした製品の開発・販売に取り組み、農村の生活向上に努めました。
・オリゲラ(農民の雨具)の装飾を活用したインテリア用品
・こぎん刺しの模様を応用したバッグや小物
・地元のアマ石(石灰 ite)で作る津軽人形
こぎん刺し研究の先駆者
民藝運動を行った柳宗悦がこぎんについて語るより20年以上前の明治41〜42年頃から、大川はこぎん刺しの収集を始めていました。100点を超えるコレクションを所蔵し、木村産業研究所の嘱託としてこぎん刺しの復興にも携わりました。
文化人との交流
大川邸には建築家ブルーノ・タウトも訪れ、陶芸家の河井寛次郎やバーナード・リーチとも交流を持ちました。昭和33年(1958年)、77歳で死去。現在、大川家には農閑工芸の数々が大切に保管されています。
もっと知りたい人のために
国際芸術センター青森
こぎんバンク

