岡田普理衛は、フランス出身のトラピスト修道士であり、道南の酪農の源流を築いた人物です。
当別トラピスト修道院の初代院長として、祈りと労働の精神で荒野を開拓し、北海道の乳製品産業の礎を築きました。
フランスから日本へ
1859年、フランスのノルマンディー地方、カルヴァドル県サンジョルジュ・ダンシーに生まれました。本名はジェラール・プーリエ・フランソワ。1883年にカトリック大神学校を卒業後、ノルマンディーのブリックベック所在の「めぐみの聖母大修道院」に入会しました。1897年、日本にトラピスト修道院が創立されることを知り、志願して渡日しました。
日本への帰化と開拓の日々
来日後、プーリエは修院長に就任すると同時に日本人になろうと決心します。信者の一人、大工の岡田初太郎の養子となり、岡田普理衛と改名しました。当初の修道院周辺はやせた土地で、開拓は困難を極めました。「働いては祈り、祈っては働く」という修道生活の中で、7年をかけて周囲一帯をえん麦、ジャガイモ、トウモロコシ、牧草などの畑地に変えていきました。
酪農事業の成功
普理衛の酪農への取り組みは、以下の通り進展しました。
・明治35年、故郷フランスからホルスタイン5頭を輸入
・明治36年からバターの製造を開始
・その後、コンデンスクリーム、スキムミルク、チーズの製造にも着手
・トラピストバターは朝鮮、上海まで名声が広がる
文化人との交流と晩年
普理衛と親交が深かった人物に、童謡「赤とんぼ」の作詞者・三木露風がいます。三木は大正4年と6年の2度にわたって来院し、普理衛の信仰に感銘を受けて洗礼を受けました。昭和22年7月1日、87歳で永眠。その墓は今も当別トラピスト修道院にあります。
もっと知りたい人のために
北斗市 当別トラピスト修道院
函館市文化・スポーツ振興財団 岡田普理衛

